ネットの記事を読んで、ミソフォニア(音嫌悪症)という障害があることを知った。
ミソフォニア(音嫌悪症)
ミソフォニア(音嫌悪症)とは
ミソフォニア(音嫌悪症)とは特定の音に対して強い否定的な感情を抱く障害らしい。
対象となる音は、鼻をすする音からキーボードのタイピング音まで様々で人によって異なるみたい。
自分もそれかもしれない
この記事を読んで自分もそれなんじゃないかな〜って思った。
自分の場合は、環境音は気にならず人が発する音に対して嫌悪感を抱くことが多い。
実家に帰ったとき、父親の食事のときに出る咀嚼音やくちゃくちゃという音だったり他人が鼻をすする音に対しても嫌な気持ちになる。
しかもそういう嫌な音って一回気になると、意識がそっちに持っていかれてどんどん気になるようになって行くんだよな。。。
今もカフェでこの文章を書いているけど、途中から近くに人が座って来てその人が癖なんだと思うけど鼻をすすりまくっている。
別に鼻水が出ているわけでもなさそうなので本当に癖なんだろうけど。さっきからそれが嫌で気になって作業に集中できなくなってきている。
実家で感じる父親の咀嚼音もそうだけど、本当に気になるんだよな〜
気になり過ぎて指摘したくなるくらい気になる。
でもこれの難しいのが人が発する音だから、どうすることもできなくて我慢するしかないんだよな。
イヤホンしたりもう席を移動したり自分ができる範囲で嫌な音を我慢するか避けるかの二択しかない。
もっと神経が図太くなって全く気にならないぜ〜ってなればいいんだけどそうはならないんだよな。
むしろ年齢とともに無理な範囲が広がってる気がする。
自分に厳しくすればするほど気になる範囲が広くなる?
たまに、自分に厳しくすればするほど気になる範囲が広くなるのでは?って思うことがある。
自分に厳しくして、自分が決めたルールをやり切ったりする中で物事の良し悪しを判断する枠組みが自分という主観的要素が大きくなってるのかもしれない。
自分で決めた基準をクリアできていればOK、クリアできなければだめ。と合否基準を自分で決めて行動していく中で
これまでは良し悪しを判断してこなかった部分?に対してだったり他人の行動に対してもそうだけど評価する軸が自分の中の基準を満たしているかどうかって自分自身を評価するのと同じ基準で考えてしまっているのかもしれない。
そうなることで、自分の考えというか規範というかルールから少しでも外れたものが気になるようになって行く。
自分の考えとか基準の中に相手も収まるべきだ、守るべきだって意識が無意識の間に自分の中に植え付けられているのかもしれない。
もしかしたら、これが自分のルールを決めて行動しているから発生しているかもしれないし1人でいる時間が長くて他人と過ごす時間が短いので他者を許容しずらくなっているのかもしれない。何が根本の理由なのかわからないけど、昔よりも確実に他人の気になる行動が増えている気がする。
だからといって出来ることもそんなない。
他人の行動で気になる部分があったり、許せない部分や嫌な部分があったとしても出来ることって限られている。
指摘して治してもらうか、我慢するか、目に入らないところに移動するかの三択くらい。
この中で手っ取り早いのが目に入らないところに移動することだから、移動できる環境だったら移動するし我慢必要なときは我慢できるようにする。
自分の気になる行動をしている相手と直接話していないと行けないときはちょっとあれだけど、今みたいに作業しているときであれば自分の集中力を高めれば気にならないようになると思うので自分に矢印を向けて出来ることをやっていく
自分じゃなくて、相手に矢印を向けると影響の範囲外でかえることができないことに対してストレスが溜まって良くないと思うので変えられることにフォーカスをして考えるくせをつける。
それにしても世の中色んな人がいるな〜と思う。
鼻をすするくらいなら、病院行ったり鼻をかめばいいのにって思う。
鼻をこまめにすするストレスとかないんだろうか。鼻をすするって対症療法でしかないと思うので、その場しのぎで鼻をすするのではなくて鼻をすすらなくていい状態を作るべきなのでは?って思ってしまう。
いや、むしろ彼は自分が鼻をこまめにすすっているという事実に気がついているのだろうか、自己認知があるのだろうか。
無意識なのだろうか。無意識だとしたら少し怖い。自分ももしかしたら無意識にそういった行動取っているかも知れないし。
とかってのを少し考えてしまった。2024/01/21