神経質はどこから来ているんだろうかって考えたことがあって、たどり着いた結論は費用対効果を追求しているから。になった。
お金のゆとりは心のゆとり
サウナでいらっとする場面
サウナを例にすると、毎回サウナをすごい楽しみにしている。一方で、サウナは自分の中で娯楽にあたり節約を心がけている現状において不要な出費。そうなると、不要な出費をしているんだから、その分思いっきり楽しみたい。というマインドがどうしても働く。
マインドが働くから、楽しめない要素、減点要素があるとそれが異様に気になってしまうんだと思う。
これが我慢して我慢してようやくできた貴重な一回ではなくて、よくある一回の場合は今ほど減点要素に目が行かない気がする。それの最たる例が食事な気がする。食事の場合1日2回3回は食べることになる。しかもコンビニとかファミレスとかチェーン店とか行く頻度が高いお店って結構ある。その中で、例えばコンビニでお昼ごはんを買うときに新しいカップ麺を興味本位で買ってみてあまり好みの味じゃなくても損した気分というか減点要素にあんまり感じない。それは多分、食事を夜もとるしお昼ごはんは次の日も食べるから何回も何回も行うなかでの1回なのでミスったときのダメージが少ないんだろうなって思う。
そう考えるとサウナも行く回数を増やせば一回あたりの貴重度が下がって、今日はうるさい人いるな〜、明日はいないといいな〜くらいの感覚になるんだと思う。
金額と期待値
もうひとつの要素が「金額と期待値」なんだと思う。
サウナの場合1回の単価がまあまあする。月10万円生活をするとしたら1日あたり3000円で生活する必要がある。1回2時間2600円のサウナが近くにあるんだけど、そこに行った場合その2時間が1日で使える金額とほぼ一緒ということになる。そのサウナに行かなければ1日生活できるし、行った場合はその日を400円で生活しないといけなくなる。このように、支払う金額が自分の中で大きければ大きいほどダメージは当然でかいし、代償を払っているのにそこから得られるリターンが期待以下だったり減点要素がたくさんあったらそら嫌な気持ちになるよな〜と思う。
支払う金額の「重さ」は人の価値観、金銭感覚次第だけど早く経済的に自立をしたい。そして無闇矢鱈に生活水準を上げるのはNGだけど、そこそこの支出も特に気にすることなく気前よくだせるくらいになりたい。今もそれできなくはないけど、それをやりすぎた結果高収入でも貯金あんまり・・・・になってしまうから今は我慢して資産を増やすことを意識する。